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To Heart
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HM−12


 男はモニターを睨んでいた。
モニターには付近の地形を動き回る10個ほどのの光点が映し出されている。
一つ二つと光点が消えていく度、男の表情は堅くなって行く。
「まいったな…」
数分後全ての光点が消え、男は短く刈った頭髪を掻きむしった。
薄暗い車内には様々な計器が積み込まれ随分と狭い。
大柄な男が椅子に寄りかかると背当てが鈍い音をたてて後ろの機材に当たった。
「どうなさいますか?」
暗闇から無機質な女の声がかかる。
男は振り向きもせずしばらく唸り声を発する。 椅子がキィキィと悲鳴をあげた。
「どうしようか?」
男の声はどことなく楽しそうだった。


「浩之ちゃーん!浩之ちゃんてばぁーっ!」
玄関から響きわたるあかりの声が次第に部屋に近づいてくる。
浩之は頭から枕をかぶったまま幼なじみの襲来を待った。
「もう、まだ寝てる!講義に遅れるわよ。」
「今日は自主休講…寝かしてくれよ。」
浩之は追い払うように腕だけ伸ばしてヒラヒラと手を振った。
あかりと浩之は幼なじみで今は同じ大学に通っている。
両親の仕事の都合で1人暮らしをしている浩之をこうして起こすのは
高校からのあかりの日課となっていた。
「今日は経済学でしょ、休んで大丈夫なの?」
「うう…そうか…代返頼むわ…」
「ちょ、ちょっと浩之ちゃん?!勝手に決めないでよ。」
寝返りを打つ浩之をあかりがあわてて揺り動かす。
時間を気にしながらも直接的行動(布団を引き剥がす)を起こさないあたりが彼女らしい。
そんなこんなで2人が家を出たのはそれから20分ほどたってからだった。
「ふぁああ…」
大学までの電車に揺られながら浩之が大欠伸を繰り返す。
通勤ラッシュの時間帯を過ぎた車内は人影も疎らで人目を気にする必要はない。
時間に余裕のある大学生ならではの贅沢だ。
「もう、また夜更かししたんでしょう?」
「違うよ…」
面倒臭そうに浩之が答える。
あかりの保護者然とした口調は時として浩之を苛立たせる。
もっともそれはあかりに対する甘えから起因しているのだが。
「夜中に何回か間違いFAXがあってさ…ふあぁぁ…。」
「ふぅん。」
「まったく、腹の立つ。間違い電話なら文句の一つも言ってやるんだが、ピーピーガーガー…
しかもリダイアルで何回も掛かって来やがる。」
「あれ?電話、FAX付いてなかったっけ?」
「故障中。随分前からな。」
あかりの表情が微かに曇る。
浩之が電子機器の全てに嫌悪感を持っている事をあかりは知っていた。
「直せば良いのに…間違いFAXでも一回で済むし。」
「そうか!、FAXの内容から間違えた野郎も特定できるしな。」
「ひ、浩之ちゃん…」
だらしなく電車のロングシートに座る浩之を見てあかりは何となく嬉しかった。
浩之はまだリハビリ中なのだと自分に言い聞かせる。
自暴自棄になり一時は高校卒業も危ぶまれた浩之を立ち直らせようとして
逆に浩之から疎まれた時期が長かっただけに、何気ないこうした会話が彼女にとって
幸せを実感させるのだった。


男はモニターの向こう側で行われている会議にいい加減うんざりしていた。
いつの時代もこの手の会議は責任の擦り付け合いに終始するものと相場は決まっている。
「我々としては事が公になる事だけは避けたいのだ。」
「でしょうな。」
2時間掛かって得る回答かと内心毒づきながらも男が答える。
「何ならKEIに協力を要請してはどうです?少なくとも情報は得られるでしょ う。」
「馬鹿を言いたまえ。それでは非合法活動を認める事になる。
何としてでも我々の手で秘密裏に処理せねばならんのだ。」
神経質そうな甲高い声が早口にまくし立てた。
「我々」?机にしがみつくしか能のない事務屋共が。
皮肉も理解できんときている。
「つまりは、君の要請を飲むしか解決の手だては無いと言うのだな。」
落ち着いた声に男は肩をすくめて見せた。
「しかし、あくまでそこは市街地だと言う事を忘れないでくれたまえ。」
甲高い声が再び男の神経を逆撫でする。
最初の段階でこちらの要請した兵力の半分しか許可しなかった結果がどうなったか理解できてはいないらしい。
「…我々としては君の活躍に期待するしかない。要請に関しては可能な限り対応 しよう。
失敗は許されんぞ。」
「その時は自分を精神異常者なりテロリストなりにしてくださって結構です。」
大げさな動作で敬礼すると男は通信を切った。
「よろしいのですか?」
「何がだ。」
運送会社のトラックに似せた狭苦しい指揮車の中で男が傍らの女性に向き直った。
紺のスーツに身を包んだ美女である。
飾り気の無い眼鏡とアップにまとめられた髪型が堅い印象を与えていた。
「…上層部はあなたに責任を被せるつもりです。任務を辞退すべきでした。」
「わかっている、別にかまわんさ。事が公になればマスコミが騒ぎ出す、
未だに国民の多くは我々の敵だよ。誰かが泥を被れば被害は最小限ですむ。」
「そう言う物ですか。」
いつもの抑揚の無い声の中に彼女なりの抗議を感じ取って、男は頬を緩める。
「そう言う物さ。それにな、俺は会ってみたいんだよ「奴」にね。」


浩之が1人で食事を取るのは決まって大学から少し離れたファミリーレストランだった。
今時、人間のウェイトレスを置く「その手」の人向けな店だ。
「あら、いらっしゃい。ヒロ。」
この店の売りである(いろんな意味で)可愛らしい制服を着た金髪娘が嬉しそうに声を掛ける。
高校時代の同級生、宮内レミィだ。
「アカリは?」
「今日はゼミの付き合いだと。」
「ふう〜ん。」
額に人差し指を当てるいつものポーズでレミィがしきりと頷く。
「なんだよ。」
「ゼミの付き合いと言えば「合コン」デス。「合コン」と言えば異性との出会い …ウンウン。」
「あのなぁ。なんだよそれ。」
「大丈夫デス。アカリが愛想を尽かしてもヒロには私がいまス。」
屈み込むようにしてレミィがウインクした。
ただでさえ制服で強調された胸の谷間が真正面から浩之の視線を釘付けにする。
胸…
「い、いいかげんいしろよレミィ!」
「アハハ、ジョーダンよ。冗談。」
ポニーテールを揺らして回れ右をしたレミィが席を離れる。
「ヒロが何でこの店に来るのかくらい知ってるヨ。」
「レミィ…」
浩之がこの店を利用するのは他の客と目的が随分と異なっていた。
ファーストフードにしろファミレスにしろ、今はほとんどがアンドロイドを接客に使用している。
そしてその多くは独占企業である来栖川電工の汎用型アンドロイドHM−12、
「マルチ」を使用していた。
派生型を含めれば全シェアの8割を占めるこのアンドロイドの原型機、試作1号は実験のために
浩之達の高校に一週間だけ通学した。
そして浩之と恋に落ちたのである。
実験は終了し彼女、「初代マルチ」は凍結処分とされた。
来栖川電工はコストの掛かる学習進化型プログラムの不採用を決定したのである。
浩之にとってそんな心を持たない量産型のマルチは悪夢以外の何物でもなかった。
彼がこの店を利用するのはレミィが居るからでも際どい制服を見るためでも無い、
アンドロイドが居ないからに他ならなかった。
「マルチちゃんの事、忘れる必要はナイです。ただアカリの事も考えてやらない とダメヨ。」
「わかってる、つもりなんだけどな…サンキュ。レミィ。」
「ノン。同じカマノメシを食った仲ネ。水臭い事言わないで。」
浩之が一息付く頃には夕食時が近づいて、店内が騒がしくなる。
5分ほど目の保養を楽しんでから浩之は店を出た。


「浩之君だね。」
玄関の前まで来てふいに声を掛けられる。
振り向けば大柄な男と秘書らしい女性、 それとボディガード然とした黒ずくめの2人が従っていた。
「そうですが、何か…」
「少々君に話を聞きたくてね。立ち話も何だ、中に入ろうじゃないか?」
男が何気なく上着の前を開く。
「!」
嫌でも脇に吊した大型の拳銃が目に入った。
唖然とする浩之に男が家へ入るよう促す。鍵は開いていた。
 リビングにはすでに見慣れない無線機のような機材が運び込まれ、
小型のモニターがテーブルの上に所狭しと並べられている。
「令状はないが緊急事態なのでね。勝手に上がらせてもらった。まぁ、掛けたまえ。」
浩之の前にはテーブルを挟んで大柄な男が座り、背後には黒ずくめの2人が両脇に立つ。
男の左手に座った女性は時折モニターに目を走らせながら端末を操作している。
「信じる信じないは君の勝手だが我々は政府機関の者だ。
君が大人しくしている 限り危害を加える気は無い。」
「は、はぁ…」
あまりの事に感覚が麻痺してしまった浩之が間の抜けた声を出す。
「早速だが、昨夜から今朝にかけて電話があったね。」
それは質問ではなく確認だった。
「電話…ですか?…ああ、間違い電話が何度かありました。」
「間違い電話か。いい答えだ。どうやら君は見かけによらず一筋縄ではいかないらしいな。」
男が女性と目配せする。足元のアタッシュケースから金属製の小箱が取り出される。
中身は注射器。驚く浩之を後ろの2人が押さえつけた。
「ま、待ってくださいよ。一体何なんなんです?」
「言っただろう?緊急事態だと。君と押し問答をしている暇はないんだ。
安心したまえ、副作用は無いタイプだ。」
「そう言う問題じゃ…」
腕に微かな痛みを感じてすぐに浩之は意識を失った。            


夢を見ているような意識状態の中で、浩之は男の質問に答えていった。
どうやら注射されたのは自白剤の一種だったらしい。
しかし本当に知らない事を自白しようがないので答えは自然と噛み合わない物になる。
どうやら男は浩之をスパイかなにかと思っているようだった。
「気分はどうだね?」
どれくらい時間がたったのか、浩之はやっと考えて喋る事ができるようになった。
「良い訳無いでしょう…」
「だろうな。」
男の口調には不思議と厳しさはない。
浩之の反応を楽しんでいるようだ。浩之は少しムッとする。
「疑いが晴れた訳ではないが、君が何某かの組織の一員では無い事はわかった。
 問題はなぜ奴がこの家に連絡を取ったか、だ。」
「奴」と言う単語が彼等の探しているもので、
「CAST−1」と言う単語と同意語である事は先程の尋問で理解できた。
「何なんです?キャスト・ワンって?」
「…戦闘用アンドロイド特殊部隊仕様1型の略だ。まだ試作の段階ではあるがね。」
 男がネクタイを緩め一息付く。
「2日前、実験中にそのCAST−1が暴走。実験施設から逃亡した。
それを捕まえるのが我々の任務だ。」
「イタズラ電話がそのアンドロイドからの…?」
「そう言う訳だ。軍の衛星回線を使用して5回も、だ。君を疑っても無理はあるまい?」
思わず頷いてしまう。
ほとんど同時に男と浩之は唸りだした。思い当たる節などあるはずがなかった。
まだタチの悪いTV番組に騙されていると思った方が現実味がある。
「失礼ですが…」
それまで黙っていた女性が沈黙を破る。
「あなたHM−12のテストモデルが試験運用された高校の卒業生ですね。」
「何?!それは本当か?」
反応したのは男の方だった。掴みかからんばかりに身を乗り出す。
「…そ、そうですケド…」
「それじゃあ、テストモデルと君は繋がりがあったんだな!」
あまりの勢いに浩之はコクコクと人形のように頷いた。


週末の夜にしてはまだ早い時間にあかりは帰路についていた。
いや、正確には浩之の家へ向かっている。
手には評判だと言うたこ焼きの入ったビニール袋がぶら下がっていた。
「あら?」
浩之の家に近づくとちょうど宅配便のトラックが家の前に止まる所だった。
変に感じたのはトラックから降りたのがアンドロイドだった点だ。
安全性の問題から未だアンドロイドに車の運転は許されていない。
「ご苦労様。」
あかりが小走りに近づいてアンドロイド、HM−12に声を掛ける。
アンドロイド嫌いの浩之に代わって荷物を受け取ろうと考えたからだ。
『ヴォン』
不意に頭上にヘリコプターが出現する。
ズングリとした黒塗りのシコルスキーMH-53は消音装置のおかげで
路地の上空に達するまで誰にも気付かれなかった。 
民家の屋根ギリギリの高度でホバリングする大型ヘリから発生する風圧に
あかりは立ちすくむしか無い。
「な、何?!」
黒い塊が幾つかヘリコプターの後部ハッチから放出される。
重い着地音と供に降り立った塊、索敵用軽アンドロイド「初音」はすぐさま行動を開始した。
 一体があかりとHM−12の間に降り立つ。
残る4体は宅配トラックの四方を包囲した。
バレリーナさながらに繰り出された初音の回し蹴りが空を切る。
HM−12が一瞬早く沈み込み、不安定な初音に脚払いを掛けたのだ。
たまらず初音が転倒する。
「ケーブルだ。ケーブルを切断しろ。」
いつの間にか浩之の家の戸口に現れた男の声にトラックの正面に位置していた初音が反応する。
トラックとHM−12との間には確かに細いケーブルが繋がっていた。
グシャ。
ケーブルの切断より一瞬早くHM−12の膝が転倒した初音の首に食い込んでいた。
ケーブルを切断されたHM−12は正しく糸の切れた操り人形のように動きを止める。
 次の瞬間トラックが急発進し、ケーブルを切断した初音とHM−12を挽き潰した。
あわてて残りの3体がトラックを追う。
ゴン!
トラックの後部扉を吹き飛ばして白煙が吹き出す。
白一色に塗り固められた視界の中で金属同士のぶつかり合う音と、
初音の装備したネットランチャーの発射音が入り混じる。
「行け!」
男の号令に後ろに控えていた黒ずくめの2人が煙の中へダッシュする。
人間では不可能な加速力で。
最新鋭の要人警護用アンドロイド「梓」だ。
 トラックが100mほど先の電信柱に激突するわずかの間に全ては終わっていた。
3体の初音は特徴的な頭部の受信アンテナを折られ活動を停止している。
梓の1体はネットに絡まり、一体は手足を失って蠢いていた。

 騒ぎに周囲の住民が集まり始める。 その中にあかりの姿は無かった。
 周囲は野次馬と駆けつけた警察で溢れていた。
これだけの騒ぎを起こして何のお咎めも無く浩之の目の前で頭を掻きむしっている男の姿を見ると
政府機関の関係者と言う話もあながち嘘では無いらしい。
「4年前の話だ。」
ふいに向き直るでも無く男が口を開いた。
「より人間に近い人工知能の開発にどこも躍起になっていた。
パターン化する事なく独自に判断を下し、学習・成長する人工知能だ。
我々はその競争に遅れ、焦っていた。当時開発中の代物は暴走事故を起こし、
「計画」は暗礁に乗り上げていた。」
「それでマルチを?」
連れ去られたあかりの事を聞かされ、困惑していた浩之が顔を上げる。
「当時、KEI(来栖川電工)は人口知能の開発で世界のトップクラスだった。
我々の上層部は権力を使って技術提供を迫ったのさ。
だがKEIは偽のプログラムでお茶を濁し、テストプログラムは封印された。」
「え?それじゃCAST-1は?」
「我々はそれほど甘くない。KEIが世に出す事を恐れる程完成された人工知能だ。
あらゆる手段を講じて入手したさ、君の恋人のバックアップをな。」


薄暗いシコルスキーの後部デッキは女のハイヒールではお世辞にも歩き易いとは言えなかったが、
飛行中であることを考えれば無理なからぬ事だった。
近づく女の気配で装甲服に身をつつんだ男が顔をあげる。その目は血走っていた。
「戦意高揚剤を使われたのですね…なぜそこまでする必要があるのです?」
女の声はあくまで冷静だ。
CAST-1の居場所が判明したとは言え、指揮官たる彼が自ら出撃する理由は無かった。
増援部隊は既にこちらへ向かっているのだから。
「俺は…君を守れなかった…」
装甲服「楓」の収納ケースに腰掛けた男が「自分」に対して語りかけているのでは無い事に気付いて女は息を飲んだ。
「…奴が、糞忌々しいポンコツが、君が命を懸ける価値があったのかどうか確かめてやる。
俺が…この手で…」
「!」
不意に男が立ち上がり、女を抱きしめた。
パワーオフのままの装甲服がギシギシと異音を立てる。
「すまない。本当にすまない…」
「…」
しばらくの沈黙の後、男が離れた時にはすでに男は正気に戻りつつあった。
「…面目ない。恥ずかしい所を見せてしまったようだな。」
「い、いえ…」
女はやっとの事で言葉を紡ぐ。言わなければと思う言葉が出て来ない。
『5分後に降下地点』
発しかけた言葉が機内アナウンスに遮られる。
「行って来る」
頭部を覆うヘッドユニットを被りながら男は背を向けた。


ヘリの飛行音は既に聞こえなくなっていた。
黒いその機影も夕暮れの空に溶け込んでまったく視認できなかった。
もっとも空を見上げる余裕など今の浩之には無かったのだが。
 運動不足が祟って自分でももどかしいほどに自転車は進まない。
息苦しさと切なさが浩之の胸を苦しめる。
マルチ。
 すべてを知らされた今、浩之は何としてでもCAST-1…
軍事利用されたマルチのコピー…に会いたいと思った。
たとえあの男の言う通り書き加えられた軍事用プログラムに自分が標的として認識されているとしても。
 CAST-1は実弾を使用した耐弾試験中にメインメモリーに損傷を受け、
自己修復プログラムが誤って封印されていた人格機能を復帰したらしいとの事だった。
ただ、どこまで「マルチ」であるかは判らないらしい。
あるいはマルチのメモリーに残っていた浩之のデータをCAST-1が「標的」としているだけなのかも知れない。
「待ってろよ。今行くからな…」
何度もそう繰り返しながらペダルを漕ぐ。
その言葉が誰に向けられているものなのか浩之本人にもわからない。
ただあの連中が立ち去る際に覗き込んだモニターとヘリの飛び去った方向から浩之は迷わず「そこ」へ向かっていた。
思い出の高校へ。


自分の息遣いがやけに響く。
胃のあたりが締め付けられるような感覚。
あの時と同じだと男は思った。
そう、4年前連続殺人事件の「犯人」と向き合った時だ。
片田舎で起こった連続殺人事件が「鬼」と呼ばれる地球外生命体によるものだった事は
裏の世界では有名な話だ。そして当時功を焦った日本軍が惨敗した事も。
「見つけたぜ。」
校舎の影に潜む異形の物体がセンサーに捕らえられる。
細長い頭部、長く湾曲した腕。逆関節の鳥類を思わせる脚。間違うハズもないCAST-1。
「さぁ、はじめようぜ。」
男の言葉が聞こえたかのようにCAST-1が跳躍する。
上方に12・7ミリ機銃を乱射しながら男が横へ飛ぶ。
 着地と同時にCAST-1の右腕が音を立てて男の目前を通過した。
すかさず機銃を撃つがCAST-1は体勢の崩れを利用して地面を転がり射線をかわす。
通常の無人歩行兵器のように崩れたバランスを戻すのでは無く
長い腕部を利用した重心移動による高速機動がCAST-1の「売り」だった。
その生き物に似た動きが男に「鬼」を連想させる。
「どうした。鬼のほうが速かったぜ。」
左手で移動予測地点に手榴弾を投げる。CAST-1に立ち直る暇を与えない。
動作自体はCAST-1の方が俊敏ではあったが、男の勘と経験が反撃を許さなかった。
「くだらねぇ。」
 爆炎の中からCAST-1が跳躍する。男はその軌道を追いながら毒付いた。
こいつは、CAST-1はあの少年に会うためにここまで来たと言うのか。
恋する人工知能だと?、ふざけるな…。
 機動試験を前提に造られたCAST-1には内蔵火器が無い。
本来であれば男との直接戦闘は回避するハズだ。戦略プログラムでも狂っているのか?
男は意識的に「ある可能性」を無視した。
「来やがれ!」
突進してきたCAST-1に12.7ミリ弾が集中する。
着弾の火花を散らしながらも被弾径始を計算され尽くした機体はほとんどダメージを受けていないようだった。
 男の回避運動に装甲服が追従できず悲鳴をあげる。
間近に迫ったCAST-1の一撃が腰のあたりをかすり、
足元からすくい上げるように男を跳ね飛ばす。
鈍い音と共に校庭を囲むポプラの大木に背中から衝突した。


怒号と悲鳴が飛び交う直中に居る。
その影は圧倒的な速度を持って中隊を翻弄していた。
いつもの事だ。
男は必死に指揮を取る。すでに大半の応答が無い。
判っている。中隊はここで全滅する。
目の前の機体が引き裂かれ、文字通り叩き潰される。
あれは誰だったろう?
顔も名前も思い浮かばない。ただ断末魔の絶叫だけが鮮明に記憶されていた。
影に向かってトリガーを引く。
誤射圏内に友軍機のメッセージ。
視線入力でキャンセル。
再度トリガーを引く。
何もない空間に曳光弾が吸い込まれる。
マシンガンごと両腕が押さえつけられていた。
影に。
盛り上がった筋肉が動く。
メキメキと音を立てて装甲ごと腕がへし折られる。
繰り返される悪夢。
モニターごしに視線が交差する。
その目は笑っていた。


 異常を示す警告音と苦痛が男の意識を「現実」へ引き戻した。
「…畜生」
ノイズまじりのモニターの中でCAST-1が背を向ける。
その姿に男は言い様のない屈辱を感じた。
あの時…「鬼」に惨敗したように、又しても呆気なく負ける事が悔しさよりも怒りとなって男の口から迸る。
バックパック強制排除。 リミッターオフ。
 モーターの発する異臭を感じながらも男は怒号をあげてCAST-1へ突進する。
CAST-1が振り向くのと同時にCAST-1の心臓部とも言える腹部に向かってM72改ロケットランチャーを発射した。
 CAST-1は右腕を犠牲にして腹部への直撃を防ぐ。
男は爆炎と降り注ぐ破片の中へ残された最後の武器、腰に吊した円筒形の物体、を両手に構えスピードを落とさずに進む。
爆炎がCAST-1のセンサーから男の姿を隠していた。
 視界にCAST-1を捕らえた瞬間、装甲服が限界に達し反応速度が目に見えて落ちた。
男の全身から汗が吹き出る、装甲服が錘と化して身体を拘束する。
CAST-1が左腕を振り上げる動作が酷く緩やかに見える。
 男はCAST-1の懐へ迷わず進み続けた。
振り下ろされた鉤爪が肩の装甲を切り裂き、歪んだ装甲に圧迫された右腕が鈍い音をたてて折れた。
跳ね飛ばされた男は空き缶のように校庭を転がる。
「くたばれ、糞野郎!」
完全に機能の停止した暗闇の中で男は全身打撲になりながらも笑っていた。


 本来、不安定な重心を制御するバランサーを兼ねていた腕部を失った上に
接近した状態で振り下ろした左腕の慣性はCAST-1のバランスを大きく崩した。
高速機動を可能にした不安定な重心がアダになり、転倒を防ぐために脚部の油圧シリンダーが何本か犠牲になる。
 CAST-1の人工知能は流れ込む損傷データを処理するのにネットワークの半分しか使用しなかった。
残り半分は背後の暗闇をセンシングするのに使用されている。
それは第三者の発する「音声」を認識したからだった。
『マルチーッ!』
もう一度音声が認識される。
200m程離れた地点で叫ぶ人影があった。
CAST-1は赤外線、音響、光源増幅カメラ、あらゆる機材でその人物を確認する。
 そのため腹部に付着した異物を認識するのに数秒を要した。      


 先端のカバーが割れた瞬間、内部の特殊樹脂が目標に吸着する。
同時にジャイロが作動し吸着面と直角になるよう角度が調整される。
 男が跳ね飛ばされる直前にCAST-1の腹部に張り付けた円筒形、五式対戦車吸着地雷の信管が作動した。
 モンロー・ノイマン効果によって成形された錐状の炎がCAST-1の複合装甲に小さな穴を開ける。
 内部に侵入した超高温の火炎が全てを焼き尽くした。


 目覚めると見慣れた顔が覗き込んでいた。
「大丈夫か?」
記憶が混乱する。どうやら病院の一室のようだった。
「あの…私は…」
「ああ。宅配便のトラックに跳ねられたんだよ、外傷はないけど酷くうなされてたんで心配した。」
「そう…」
あかりが再び目を閉じる。
「浩之ちゃんがそう言うなら…そう言う事にしておくわ…」
「あかり…」
浩之はあかりに全てを話したい衝動に駆られた。しかしどう話しをすれば良いのか、
マルチが自分に会いに軍を脱走した事を、そのマルチを前にしてただ傍観するしか出来なかった自分の事を。
 あの時、CAST-1を目前にした時、浩之は何もできなかった。
あの異形に圧倒されて近づく事すらできなかった。自分に会いに来てくれたマルチに…。
 怖かったのかも知れない。
CAST-1ではなくそれをマルチだと確認する事が…。
高校を卒業するまでの間、浩之は悔やみ続けた。
一介の高校生に何ができる訳もなかったが、あの時マルチを連れて逃げるべきではなかったかと。
そんな浩之にとってCAST-1は自分を責めるために現れたマルチの亡霊だと とも思えた。
「俺…俺…」
そっとあかりの手が浩之の手に重なる。浩之は泣いてた。


「アンドロイドを使用した凶悪なテロ…か…」
あかりと同じ病院のベットで男が新聞を流し読みしている。
どの新聞にも今回の騒ぎが小さく作為的な暴走事件として掲載されていた。
「不満ですか?」
傍らでリンゴを剥いていた女が手を止める。
「いや。理想的な結末だ…だた一点、俺が出てこなければな。」
「民衆はヒーローを好みます。それも職務のうちです。」
女の声にはどことなく弾んでいる。
「まったく、よくもまぁ…何が『軍によるテロの早期発見』だよ、しかも俺が勲章受章だって?泣けてくるぜ…」
「良いアイデアと思ったのですが…」
「…お前…が?」
「はい。進言しました。」
 しばしの沈黙の後、男は天井を見上げて溜息をついた。


「彼女の具合はどう?」
「ええ。大した事はないそうです。早ければ明日にでも退院できるそうで…」
「そう。よかったわ。」
病院前のバス停で浩之は見送りに来た女と2人でバスを待っていた。
軍関係の病院とあって出入りする人影は疎らである。
「1つ聞いても良いかしら?」
「…なんですか?」
「危険を承知で学校に向かったのは彼女のため?それともCAST-1のプログラムのためかしら?」
「…自分でも、良く解りません。
俺が行ってどうにかなる問題じゃないケドじっとしていられなかった。後悔したくなかったんです。」
「後悔…か…。その点ではあなたに御礼を言わなければならないわ。」
「え?」
女の目はどこか遠くを見つめていた。
「彼…ずっと後悔してきたわ。今回のような事件があって、
部隊で彼だけが重傷を負いながらも生還したの。作戦の失敗に焦った上層部はCAST-1の原型、
CAST-0を急遽投入する事にしたわ。未完成の人工知能を使ってね。
…結果は暴走。人工知能の主任研究員だった彼の婚約者は死んだわ。
まぁその事件がきっかけで軍はあなたの恋人に目をつけたわけだけど…4年間、彼は自分を責め続けた、
それもCAST計画の一員としてね。君にとっては残酷でしょうけど君が居なければ彼はCAST-1を倒せなかった…
君のおかげで彼は過去に決着を付ける事ができたの。」
 予定時刻より随分遅れてバスがやってくるのが見えた。
「…俺、あれはマルチだったと思います。」
浩之の言葉がバスのブレーキ音と重なる。
「どうして?」
「あかりは保健室に寝かされていた。シーツまで掛けて。あいつは、マルチはそう言うやつです。」
バスの扉が閉まった。
バス停に残った女に軽く会釈した。病院が見えなくなる。
日中の車内はガランとしていた。
空席が目立つ中HM−12が1体、吊革に捕まって立っていた。
背中に「配達中」とプリントされた宅配便のユニフォームを着ている。
「どうした座らないのか?」
自然と声が出た。
HM−12の無機質な瞳がこちらを見る。
量産型の安価な人工知能では理解できないのだろう、数秒を置いて
「ご迷惑をお掛けしております。申し訳ございません。」という回答が返って来た。
それでいい、と浩之は思う。
これは「マルチ」では無い。その当たり前の事を今までの自分は受け入れられなかったのだ。
「マルチ」が人間で無い事、HM−12が「マルチ」では無い事、
浩之が認めたくなくてもそれは変わらない現実。
もう、CAST-1が「マルチ」であったかどうかは問題ではなかった。
「マルチ」が人工知能、細胞では無く数値によって構成された意識体である以上、
その可能性は当然存在する。
「あ…」
CAST-1からの電話。あれは「マルチ」本体では無かったか。
電話回線を接続したパソコンがあればCAST-1を捨てて乗り移ろう(コピーと言うべきか)としたのかも知れない。
だとしたら、脱走から破壊されるまでの数日間にコピーを残したかもしれない。
無論、軍もその可能性を考慮して調査を開始するだろう。
それが「マルチ」ではなく「CAST-1」であるかも知れないが、
それはそれで楽しみな事だと浩之は思う。可能性はゼロではない。
ある日突然、携帯電話が「マルチ」になる可能性だってあるのだ(容量の問題は有るが)。
先程までの気分がウソのように晴れ晴れとしてきた。
現実は何も変わっていない。浩之の中でHM−12と「マルチ」が別々に認識されただけだ。
自分が一番「マルチ」と「機械」を同一視していたのだと苦笑する。
いつ「マルチ」が戻ってきても良いようにまずは壊したまま押入れに入れてあるHM−12を何とかしなくては。
バスに揺られながら浩之は保証期間の切れていない事を祈った。


「まだ何か用か?」
入室した女を一瞥し、男が読みかけの雑誌に視線を戻す。女はただ立ちつくしていた。
「なんだ?」
「お聞きしたい事があります。」
男が顔をあげる。 女が大きく深呼吸する。心拍数が跳ね上がっていた。
「あなたにとって私は必要でしょうか?」
「何?」
「わ、私はあなたの側に居たいと思っています…それがプログラムによるものではない、
とは言い切れませんが…」
「まったく、ウィルスでも拾ったか。早く帰って診断してもらえ。」
女がゆっくりと首を振る。横に。
「命令だ。ラボへ帰還しシステムチェックを受けろ。最優先事項だ。復唱せよ。」
「嫌です。返事を聞かなくては帰りません。私は私なりに決着をつけたいんです。」
男が睨む。
「何が聞きたい。俺がその身体から「お前」を取り除きたいと思っているかどうかか?
答えはイエスだ。」
女が息を飲む。
「なぜそうしないか教えてやろう、それは俺が軍人だからだ。
「お前」と行動を共にする事で「あいつ」の、その身体の記憶が戻る可能性を上層部が捨て切れていないからだ。
俺は命令だから「お前」と共に居る、それだけだ。俺はあの坊やとは違う。」
CAST-0の暴走事故があった時、
軍は脳死状態になった主任研究員の脳に人口知能搭載のマイクロチップを埋め込んだ。
それは事故の隠ぺいだけでなくその知識の復元をも画策していたが、脳はハードディスクとはならなかった。
この4年間、男は婚約者の死体を操る人工知能と行動を共にする事を強制されてきたのだ、
予測された反応だと思う反面、酷く衝撃を受けている自分自身に女は驚いていた。
「判っています。私の存在がどれだけストレスになっているか理解しているつもりです。
でしたらこの機会に…」
もうこの男を解放してやりたいと思う。記憶の断片すら戻らないのだ。もう結論は出ている。
その結果、自分が消える事になっても。
無論、微かな希望はある。
男がこの身体を「彼女」としてで無く「自分」として認めてくれるのではないか、と言う。
「…いや、待て…」
「え?」
「お前は感情と呼べる物を持ちつつある。脳が機能してきた証拠だと思う。
いずれあいつの自我が目覚め、お前を凌駕する。その可能性はあるわけだ。」
自分が彼女の覚醒を拒むと言う可能性もある、という言葉を女は飲み込んだ。
脳の機能回復を目的として埋め込まれた補助脳である自分がその目的を拒もうとしている。
自分で自分の考えが理解できない。
なぜ。 そういった考えを抱く事自体、もしかしたら彼女の覚醒が近いからなのかも知れない。
覚醒したとしてどうなると言うのか。
そうなっても脳の中枢に埋め込まれたチップは摘出されないだろう、
肉体の主導権など問題ではない。
自分は覚醒した彼女の中で彼女の体験するあらゆる事象を(例えば男の掛けるやさしい言葉を)同時に知覚できるハズだ。
それは一体化に近い。
「何がおかしい?本当にイカれたんじゃないだろうな。」
「いえ、大丈夫です。これからもよろしくお願いします。」
 自分と「彼女」という関係にはひとまず決着はついたのだろう、と, 
かつてKEIが軍部に提出したダミープログラム、
「セリオ」と呼ばれた人工知能は微笑んだ。

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