真っ白な飛行機雲を見上げて空を飛ぶ事に憧れた経験は多くの人が持つだろう。
だが、子供の頃憧れた多くの物事がそうであるように。
空もまた思い描いた場所とは程遠いのだということを。
今、
自分を含めた多くの人間は身をもって味わっている。
おそらくは、敵も。
『メビウス1!後ろだ!回避しろ!回避!!』
瞬間、背筋が凍る。
首を巡らしても後ろは見えない。
宇宙飛行士のような重い飛行服が動きを抑制する。
見えないことよりも、咄嗟に振り向こうとした自分に悪態をつく。
僅か数日の訓練では咄嗟にその衝動を抑える事ができない。
『ロックされた!!』
恐怖に上ずった後席手(バックシーター)の悲鳴が聞こえる。
同時に警告音。
操縦桿を右に捻りながら倒す。
機体の反応は鈍い。
警告音。
畜生。
警告音。
機体が右にロールをうちながら下降に入る。
ガクンと機体が揺れる。
後席手が”銀紙(チャフ)”か”花火(フレア)”を放出したのだ。
どっちにしろ、ミサイルを騙そうと必死なことに変わりは無い。
大国同士の軍拡が破綻すると、金の掛かる機体の開発はおざなりにされ、
留まることを知らない電子技術との隔たりはアビオニクスだけの異常な発達をもたらしていた。
既に老朽化著しいこの機体も電子機器だけは当時と比べ物にならない代物に交換されている。
もっとも、それ以上にミサイルは高度になっているのだが。
警告音。
機体はいよいよ角度をまして降下する。
速度計がみるみるあがる。
重い気体が重力によって加速する。
こうでもしなければこのロートルでは振り切れない。
ふいに警告音が止む。
一瞬の後にどっと汗が吹き出た。
『ok、メビウス1。ビール1ケースで手を打つぜ。』
背後の敵機を撃墜した友軍機から無線が入る。
それで今日の”戦争”は終わりだった。
小さい頃好きだった映画。
宇宙人の襲来。
最初は対立していた各国が最後は協力して勝利をおさめるというストーリー。
ありきたりな内容だったが、何故か気に入っていた。
模型はもちろん、読み慣れない原作小説も買って読んだ。
随分たってから作られた続編はひどくつまらなくて落胆したものだ。
…そう。
ハッピーエンドのまま「終わる」のは物語だけ。
現実の時は終わりなく流れる。
世界の、
地球の危機を救った”ストーンヘンジ”が今、
絶対的脅威となって襲い掛かっていた。
続編はつまらないというのは物語も現実も同じらしい。
『…3…2…1、今!!』
無情なカウントダウンが砲弾の襲来を告げる。
機体が
空気が
空間全体が
閃光と衝撃に震える。
無線を飛び交う怒号と雑音。
はるか彼方から放たれる”ストーンヘンジ”の砲弾が炸裂する度に。
確実に味方は減っていく。
『高度を下げろ。200m以下だ。』
初戦でストーンヘンジによって大敗し、
兵員の大半を自分のような素人(徴収兵)に頼っている軍隊に
それは無謀な命令だった。
悲鳴。
パイロットにとって高度200mというのは
触ればそれまでの高圧電線に2センチまで近寄って走れ
と言っているに等しい。
誰かが地面に激突したのだ。
EWACが狂ったようにカウントダウンと不明機へのコールを続ける。
その中にあの日、ビール1ケースで命を助けてくれたパイロットのコールサインがあった。
気が付けば
トリガーを引くことに何のためらいも無く
機体に書き込まれた星印が
生き残るために犯した罪の重さを指し示す
わずかな間に
機体は最初の頃に比べ驚くほど高性能な物に変わっていた。
大陸の大半を支配下においた敵の経済政策が
自国企業による寡占経済である事を知った時
正義感や愛国心からではなく
純粋に己の利益のため
結束した各種企業連合が我軍に”投資”しはじめたのだ。
そして少なからぬ企業が”保険”として敵にも資金提供を行っている。
戦場の兵器群は急速に高性能化し、それに比例して損耗する人員は自分よりさらに若い世代が徴集された。
おそらくは、敵も。
『今日は新入りが多い。いつもの手でいこうメビウス1。』
EWACが告げる。
”メビウス1”というコールサインはまるで別人格のように”存在”している。
おそらくは”自分”よりも確かな存在として。
短く了解と応え、アフターバーナーに点火する。
機体が一気に加速し、周辺の列機が見る間に後方へと消え去る。
レーダーが自動的に広域モードに切り替わり、EWACに頼らない独自のセンシングを開始する。
もはや後席手の仕事はすべて機械がやってくれた。
共に恐怖を味わう事以外は。
『よく見ておけヒヨっ子ども、メビウス1が先鋒を務める。あれが”戦争”だ。』
撃墜され自分の”物語”が終わるか
戦争が終わりメビウス1の”物語”が終わるか
少なくとも自分の物語が終わらないように
今日もまた何人かの物語に幕を引く
網膜投影されるレーダー画面に赤い光点が出現した
火器管制システム作動。
安全装置解除。
戦術コンピューターは
中距離空対空ミサイルを選択する。
空の蒼さを美しいと思う事も
死に対する恐怖も
”メビウス1”は何も感じない
レーダーが敵をロックオンしたことを電子音で告げる
「メビウス1、エンゲージ。」
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