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※お世話になったサイト様へ御礼として差し上げた物を一部修正して掲載しています。

『理由』
スコープを覗く。 雨でぬかるんだ眼下の山道を2人連れが歩いてくる。 どちらもまだ若い。 20にはなっていないだろう。 兄妹か。 薄汚れた衣服、重たそうな荷物。 見慣れた難民。 うつむき加減の顔が一瞬、正面を向く。 顔の形、肌の色… 間違いない。「敵」だ。 十字の焦点を頭部にあわせる。 まずは「妹」から。 せめて兄の死を知らずに死んでくれ。 それがせめてもの情けだった。 冷戦の終結は東欧諸国にとって悲劇のはじまりとも言えた。 戦後半世紀。ソビエトによって抑圧され歪んだ「膿」が一度に吹き出したのだ。 主義、宗教、民族。 人が人を憎悪する要因は無数にある。 そして、それを助長する貧しさと不安。 まるで争い合う事で自分の存在を確かめるようとするように。 東欧の暗黒時代。 この国もまた民族対立から泥沼の内戦へ突入していた。 「もう少しよ、がんばって。」 もう、何度彼女は同じ事を言っただろう。 遅れる者、倒れそうな者がいるたびに彼女はその場へ駆けつけ、慰め、励まし、再び歩き出させる。 自分も疲れているのに、彼女は30人ほどの難民の列を絶えず行き来して全体に目を配っていた。 もう少し。 その言葉が何の救いにもならないのは彼女自身が知っている。 難民達も。 子供達でさえあとどれくらいなのかと尋ねる事を止めていた。 険しい山中を縫うように走る旧道。 舗装もされておらず、ここ数日の雨でぬかるんでいた。 進むのは大人でさえ辛い。 だが、立ち止まるわけには行かなかった。 対立する民族とそれに呼応した隣国の軍隊が追いすがっていた。 この先、国境地帯には国連軍が展開している。 そこまで辿り着けば。 少なくとも命の心配は無いだろう。 そこへ辿り着く事。 それがこの難民達の唯一の希望だった。 悲鳴。 目を覚まし、それが自分の物である事に気付く。 枯れ枝とカモフラージュネットで造られた「巣」。 まだ夜中だ。 全身が強ばったようになり、拳が白くなるまで握りしめられている。 溺れる寸前のように激しく息をする。 涙が止まらない。 苦しさで滲んだ涙が次第に別の涙に変わる。 何度も繰り返される悪夢。 自分が全てを失ったあの夜。 その惨劇が数日を置かずに悪夢となって訪れる。 荒い呼吸が嗚咽に変わる。 憎い。 厳しいだけの父親。 いつも父の言いなりだった母親。 暮らしは貧しく、良い思い出など何も無いが… 憎い。 学校の調理実習を楽しみにしていた妹。 いつかアメリカへ渡る事を夢見ていた隣りの幼なじみ。 そして、あの夜までの自分自身… 憎い。 全てを奪った奴等が憎い。 ようやく隣国の支援によって立場が逆転した途端に国連に救いを求めている、奴等。 ふざけるな。 傍らのドラグノフ狙撃銃をたぐり寄せ、しっかりと抱きしめる。 この憎悪こそが今自分の生きている証だった。 深夜になっても難民達は寝静まらない。 ここそこからすすり泣きや囁きが聞こえてくる。 皆、倒れそうなほど疲れているのに。 ここまでの経験、痛めつけられた精神が安息を許さない。 「本当、貴女には頭が下がりますよ。」 護衛役の民兵が焚き火を囲んで照れくさそうに笑う。 こうしているとどこにでもいる若者だ。 難民を叱咤している昼間の顔とは違う。 それが余計に悲しく思える。 どこにでも居る人。 普通の人。 それが銃を取り、殺し合う。 昨日まで隣人だった人々と… 「大した事はしてません。自分に出来る事を精一杯しているだけです。」 「…それが実行できる人間は少ないですよ。俺も含めてね。あなたは立派だ。」 内戦の当初、民族対立を憂う彼女に周囲は激しく反応した。 裏切り者。 家族からも非難されたほどだ。 面汚しとまで言われた。 「上の連中は何と言うが知りませんが、個人的には…その、尊敬します。部下もそう言ってます。お世辞じゃなく ね。」 「ありがとう。」 国連支配地域への難民の移送。 彼女はもう何度も往復していた。 民兵の護衛がついたのは初めてだった。 ようやく、少しだけ彼女の行動が認められたのだ。 自分達が「追われる」立場になって。 緑の世界。 ドラグノフの暗視スコープから覗いた闇。 自分の呼吸だけが聞こえる。 闇の彼方。 焚き火を囲む民兵の姿が見えた。 まずは貴様達からだ。 7.56mm弾は装填済みだ。 安全装置を外す。 呼吸を静かに整えていく。 国境へ通じる国道は同胞によって封鎖されている。 徒歩で辿り着くにはいくつかの旧道を通るしかない。 配置について1週間。 これで8組目の「お客」だ。 ようこそ我が「縄張り」へ。 今回のお客は団体だ。30人はくだらない。 神よ、感謝します。 神? 自分の想いに自嘲する。 ここに神など居るものか。 数時間置きに何人かが犠牲になる。 明らかに「狙撃手」は自分達をなぶり殺しにするつもりだ。 最初の夜襲で民兵の全てが倒され、あとは1人ずつ狙撃されている。 死の行進。 進んでいるうちはしばらく狙撃は止む。 つかず離れず見張っているのだろう。 あと数キロなのに。 「みんな、がんばって…」 譫言のように呟く。 返事を返す者は居ない。 皆、怯えるか、怯える事にすら疲れ果てていた。 体力のある者だけならあるいは森林に入って狙撃手から逃れられるかも知れない。 でも、それでは弱者を見捨てる事になる。 それは出来ない。 このまま進んで全滅するか、可能性に掛けるか。 結論の出ない思考の迷路に彼女は陥っていた。 スコープから覗く度に、「あの女」が疲労していくのがわかる。 いい気味だ。 せいぜい、苦しむが良い。 聖人気取りの偽善者め。 あの夜、護衛の民兵共を始末した時。 「あの女」は自分の身を盾にして民兵を庇おうとした。 反吐が出る。 昼間覗いたあの顔には見覚えがあった。 青臭い正義感で外国のマスメディアに取り上げられた偽善者。 何様のつもりだ。 山中に逃げ込む事もしない。 自己満足で全員を殺す気か? いいだろう。 一番最後まで生かしておいてやる。 貴様には特別に1マガジン、10発を使ってやる。 自分の無力さを知り、泣き叫んで死ぬが良い。 助かったのは自分を含めて僅か12人。 旧道を偵察に出ていた国連の装甲車に保護されなければおそらく誰も辿り着けなかっただろう。 「貴女のような人間が多ければ世界は平和でしょうに。」 国連軍の将校が言う。 買いかぶりすぎだ。 自分行動が誰かを救っただろうか。 いや…もしかしたら要らぬ犠牲を増やしただけだったかも知れない。 自分についてこなければ死なずに済んだかもしれない。 「さぁ、もうすぐキャンプに着きます。みんな貴女を待っていますよ。」 将校の言葉に思考を中断させられる。 難民キャンプには顔見知りの者も多い。聞けばパトロール隊を要請してくれたのも自分がかつてキャンプへ導い た難民達なのだと言う。 自分の身を案じて。 今はその事を素直に喜ぼう。 自分のしてきた事は無駄では無いと信じたい。 小さな鉱石ラジオ。 その唯一の情報源から流れ出る報道に拳が震えた。 休戦。 国連を仲介役とした休戦交渉を評議会が飲んだのだ。 何故だ。 民族の誇りを…いや、奴等を根絶やしにするまで戦い続けるというのは嘘だったのか。 …。 ラジオは言う。 これは諸外国に対する明確な勝利である、と。 戦いは次ぎの段階に入るのだ、と。 …。 熱い。 胸が灼けそうなほど熱い吐息が漏れる。 肺の空気を絞り出す。 か細い呻き声となって怒りが身体から溢れ出る。 狂ったようにドラグノフの銃床でラジオを叩き続けた。 テントの群。 その合間にひしめく難民。 乱雑に積み上げられた援助物資の空箱。 まるでゴミ捨て場だ。 スコープから目を放す。 潜んでいる山中からは難民キャンプが一望できた。 狙撃手に必要な技能は何も銃の命中率だけでは無い。 狙撃に適した「場所」を選ぶ選択眼も同じくらい重要な要素だった。 休戦から既に三日。 国連軍の警戒をかいくぐってここまで辿り着くのは容易な事では無かった。 一度「折れた」以上停戦に至るのは時間の問題だろう。 「上の連中」にとって戦争は終わったのだ。 指導者達はそれなりの地位を得、 「同胞」である隣国はこの国に利権と発言力を得、 国連は停戦の仲介役を果たしたという実績を得る。 … 結構な事だ。 戦争は勝者と敗者しか生まない。 「得た者」と「失った者」。 紛れもなく自分は後者だ。 あの薄汚れた難民と同じ敗者なのだ。 難民キャンプの一画に人垣が出来ていた。 スコープを覗く。 人垣の中心。 あの女。 やはり、お前も「得た者」だ。 許せない。 掴まれた肩が痛い。 腕が折れているのだろう。 後ろ手に掛けられた手錠が食い込む度に激痛が走る。 腫れ上がった顔面はとうに痛感が麻痺していた。 構うものか。 目的は達したのだ。 「入れ!」 国連兵に突き飛ばされるように部屋へ入れられる。 簡易病室。 その中央にあるベッドには酸素マスクを付け横たわる「あの女」がいた。 何故だ? 何故私をここへ連れてくる。 「…貴女ね…」 苦しそうに話しかけてくる。 持って数時間のハズだ無理もない。 そのように自分が狙撃したのだから。 「…随分、酷い顔に…」 何故。 「…結局、私…貴女と同じ…片側からしか…この国を見れなかったわ…」 違う。私は… 「だから…お願い。今度は貴女が…」 「…私は…人殺しだ…」 ゆっくりと首が左右に振られる。 「…旧道…脇のお墓…貴女…でしょう?…」 撃ち殺した兄妹。 違う。 あれは、他の難民に気付かれないように隠しただけ。 それだけだ。 言葉にはならなかった。 食いしばった歯から嗚咽が漏れるのを止められない。 「…貴女…名…前…」 「…ソフィア…」 素直に言葉が出た。 その言葉が彼女に届いたかどうか。 心停止を告げる耳障りな電子音だけが病室に響いていた。 「甘い。甘いのよ、ソフィア。」 「でも、そのままにはしておけないでしょう。助かってよかったわ。」 病院まで運んだ男が手術室から無事病室に移される様を眺めながらソフィアが微笑んで答える。 その背後、壁に背をあずけた相棒が大きく溜息をついた。 男は対立する民族、その右派組織の一員。それも先刻まで2人と死闘を演じていた相手なのだ。 「死んで当然の奴等よ。情けを掛ける事なんて無いわ。」 「…」 ソフィアが物悲しい瞳で相棒を見る。 あれから数年。両民族参加による暫定政府が樹立したが、対立が無くなったわけではない。 ソフィア達民兵あがりの治安維持組織が解体されるどころか連日出動しなければならないほどに。 まして自分同様、相棒の彼女もまた肉親を失っている。 だが、ソフィアは思う。 敵を憎み、殺す事は簡単だ。 あの日。死に際に自分を呼びつけて「彼女」が何を託そうとしたのか、今もまだ判らない。 でも…。 一人でも多くの命を救う事。 それが、「二度死んだ」自分の務めなのだと思っている。 一度目は家族と共に。 二度目はドラグノフと共に。 だから… 彼女は銃を使わない。

※言い訳
差し上げたサイト様の企画物で「東欧出身」「銃を使わない」というキャラクターの過去をでっち上げてみたものです。
正直、やりすぎたかなぁ、と思っていたんですがそこそこ喜んでいただけたようです(多分にお世辞でしょうけど)。
ですので「理由」という題名は「銃を使わない理由」なんですが、他にもいろいろと…
銃を手にした理由。殺されなければならなかった理由。憎悪する理由…
島国で平和ボケの我々には到底理解できないであろう数々の理由。考えてみてください。

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