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「ペトロフカ − E-79 −」
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吹き上がる土砂。 視界を覆う黒煙。 その中に垣間見える死体。 分厚い防弾ガラス越しに見る地獄。 『後退だ!出撃地点まで戻れ!』 中隊長車からの命令が無線で届く。 「こちら側の火点は一掃しました。もう一押しです、中隊長!」 喉元の咽頭マイクを押さえて返信する。 もう見えてもおかしくない。 いや、見えているハズだ。 睨みつけるように目をこらす。 爆煙の向こうにあるはずの攻撃目標を。 『擲弾兵が阻止砲火を突破出来ない。後退せよ!』 E−79の車体を振るわせる敵野砲の振動だけが響いた。 重い沈黙。 「操縦手、後進だ。出撃陣地まで戻るぞ。」 『了解(ヤー)。』 後退。 それは作戦の失敗。そしてもう1度、おそらくは明日、再びこの地獄へ来なければいけないという事だ。 『意気地なし共め。もう一息だっていうのに。』 無線手が吐き捨てる。 誰も何も言わない。 この砲弾の雨の中、生身を晒す戦友達を非難するつもりは無い。 だが… もう一度、この丘を登らねばならない恐怖は皆同じだった。 1943年7月。 ドイツ軍はソ連軍突出部を寸断するべく「ティタデレ作戦」を発動した。 今。 その作戦は大きく停滞している。 敵は待ちかまえていた。 夜が全てを覆い隠す。 点々と燃える戦車の残骸だけが戦場を照らし出していた。 敵も味方も。 今日の損害の回復と明日への準備に血眼になっているのだ。 悪い冗談、いや悪夢か。 倒しても倒しても倒しても。 ラッチュ・バム(76mm対戦車砲)とモロトフ・カクテル(対戦車火焔瓶)とT34。 陣地を越えれば次ぎの陣地が、後退すれば昨日破壊したはずの陣地が… きりがない。 こちらは確実に疲弊していく。 人員も、機材も、 自分自身も。 「起きろ。」 反射的に目が覚める。 まだ暗い。 中隊長が夜空をバックに見下ろしていた。 「作戦会議だ。ついてこい。」 野戦式天幕。 その薄暗い空間に前線指揮官達が集まっていた。 擲弾兵、砲兵、工兵、空軍の連絡員。 皆一様にその顔は暗い。 中央の机に広げられた地図には様々な矢印が書き込まれていた。 その1つ。 要衝プロホロフカを目指す矢印。 それから枝分かれした細い矢印の先端は小さな丸印に達していた。 ペトロフカ。 この聞いた事も無い小村、そこへ辿り着くための数キロを巡って二度の攻撃が失敗していた。 そして、明日また大勢の人の命が失われる。 夢では無い、それが現実。 「戦争」だった。 ペトロフカを望む丘、その斜面にソ連軍陣地は構築されていた。 見上げる恰好になるが丘を越えるまでこちらを視認する事ができないドイツ軍に対して、 こちらは丘を越えた敵に火力を集中できる位置だ。 編み目のように掘られた塹壕、対戦車砲陣地、そして車体を隠したT34。 昼間破壊された砲と戦車は夜のうちに新しい物と交換されていた。 陣地も到着した歩兵部隊の突貫作業で元に戻っている。 昨日と違うのはそこを守る兵士の顔ぶれだけ。 膨大な物量、人的資源を有するソ連軍にとって兵の損害など問題では無い。 問題は、陣地を守る事ができるかどうか。 『警報!敵戦車!』 日が昇りきったころ、陣地を繋ぐ野戦電話が報告する。 ドイツ軍の新型重戦車が1両。陣地の左手、正面を迂回する恰好で突っ込んできた。 側面援護の防御陣地からは丘の起伏で見えない位置だ。 直ぐさま1ダース以上の砲火が集中する。 砲兵が野砲の支援砲火を誘導する。 敵戦車のある所、敵歩兵あり。 陣地を守るためにはまず敵歩兵を倒す事が重要なのだ。 『警報!街道上に敵戦車!』 ペトロフカへ通じる街道。丘の反対側。 こちらは囮なのか? ファシスト共め。 装甲を砲弾が叩く音と激しい振動。 そして周囲に落下する野砲々弾。 何度経験しても慣れる事の無い地獄。 「この距離なら大丈夫だ。火点を順に照準しろ。榴弾装填。」 『了解。11時、方向から、片づけます。』 途切れがちな砲手の声。 ほとんど絶え間なく砲弾が命中するためそうしないと舌を噛みそうなのだ。 きっと自分の声もそう聞こえているのだろう、と苦笑する。 わずか4両の戦車と100名足らずの擲弾兵。 それが「細い矢印」の先端だった。 三度目の攻撃。 その4両の戦車を分散投入する戦法。 正気の沙汰では無いからこそ敵の裏をかける。 丘の左右から1台づつが囮となって先行し、敵砲火を引き付ける。 言葉で言うには簡単だった。 どうなっているのか。 野戦電話は怒鳴り声で満たされた。 陣地の右手に陣取った新型重戦車は砲台と化して正確に火点へ撃ち返してくる。 左手の街道をゆっくりと前進してくるタイガー戦車は歩兵こそ連れていない物の対戦車砲弾を弾きながら確実にペトロフカへと近づいてくる。 どちらも無視する事は出来なかった。 そのため野砲は要請のたびに右へ左へと照準し直さなくてはならなかった。 斜面に掘られた戦車壕が仇となってT34は移動できない。 どちらの敵戦車にもこの距離では太刀打ち出来なかった。 為す術も無く撃破されていく。 最後の何両かは後進で壕を出ようとしたが、車体を見せた瞬間に昇天した。 慌てて虎の子の予備兵力、戦車部隊を無線で呼び寄せる。 『敵歩兵接近中!』 左右の戦車に気を取られている隙に正面から敵歩兵が突撃してくる。 それを支援する更に2台の重戦車。 その黒々とした姿が丘の上に姿を現す。 三方からの攻撃に、陣地は完全に統率を失った。 「擲弾兵が陣地に取り付いたな。徹甲弾に切り換えろ。中速前進、借りを返すとしよう。」 『了解!!』 ようやく軽口を叩く余裕が出てきた。 その命令に操縦手が大声で応える。 無数の敵砲弾を浴び続ける間、彼はただじっとしているしか出来なかったのだ。 借りを返す思いはひとしおだろう。 敵陣地の救援に現れた敵戦車部隊へ前進を開始する。 KV−1を含む中隊規模の戦車兵力だ。 「KVは後回しだ。1時方向、T34。距離1000、撃て!」 88ミリ砲が火を吹く。 偏差射撃でエンジンルームを打ち抜かれたT34/76がしばらく走行したまま炎をあげる。 鈍重で火力の弱いKV−1はE−79の敵では無い。 むしろ足の速いT34の方が脅威だった。接近され、側面や後方に回られるのは面白くない。 「10時方向にT34、2両。速いぞ!急げ!左旋回!」 次ぎの瞬間、T34の速度が目に見えて落ちる。 丘の背後にある小川。その源流である湿地帯に突っ込んだのだ。 それでもがむしゃらに突き進めるのは流石はソ連戦車特有の足回りと言った所か。 発砲。 先頭のT34が小川の中央で撃破された。 この距離では外さない。 残るT34は果敢にも前進を止めず砲塔を旋回させている。 「撃て」 88ミリ砲弾が車体前部を貫通する。 前のめりになるようにしてT34が停車し、中から乗員が飛び降りる。 射撃音。 数歩も行かずして水面に射倒された。 視線を巡らすと陣地を突破した擲弾兵の射撃だった。 ようやく勝てるという実感が湧く。 射撃を開始したKV−1に向き直り、立て続けに撃破する。 敵影無し。 『仕上げを任せる。村へ進出せよ。』 タイミング良く中隊長からの無線。 村の正面に到達したタイガーTは小川に掛かる橋の手前で停止していた。 橋に爆破準備がされている危険性があるからだ。 湿地帯の端、迂回できる位置にいるE−79には恰好の任務だ。 その先に、見えた。 わずか数個の貧相な家屋。 あれがペトロフカ。 三度の攻撃、その代償とするには悲し過ぎるほど小さく見窄らしい村だった。 最後の抵抗か、村から攻撃がはじまる。 家屋を陣地化しているのだ。 背後の擲弾兵が伏せる。 感傷は消えた。 敵が居て、我がE−79は健在だ。 する事は一つ。 「よし、我々だけでケリを付けよう。前進、ペトロフカへ!」 幸い、あの規模なら沈黙させるだけの榴弾がまだ残っている。 ここは、ペトロフカは通過点に過ぎない。 その先、プロホロフカ。このティタデレ作戦全体さえも。 戦争が終わるその時まで… 地獄は続く。 |
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