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RPG now -2-


義経さんのおっしゃる通り、
TRPGとTVゲーム(あえて今回はこう呼ぶ)との差は”マスター”が人であるかプログラムであるかという事だ。
 その差がまさにTRPGの面白さであり、TVゲームの限界であると私は考える。
TRPG未経験の方にはわかり辛いかも知れないが、マスターは単純に判定係では無い。
ゲーム全体の流れを読み、面白さを損なわないよう適度に難易度を調整し、情報を与え、
プレイヤーの突然の行動にもアドリブで応える。
同じ既存のシナリオでもマスターする人間の「腕」によってプレイヤーの感じる「面白さ」は雲泥の差があるのだ。
戯曲が演じ手によって、交響曲が指揮者によって差が出るのと同じだと…は言い過ぎだろうか。
その「RPG」がTVゲームとなる時、当然そうした「マスタリング」要素は組み入れることができない。
できない。となった時…
そうした要素を
”軍人将棋(判定係)”に徹したのがW某
であり、限定したマスタリング要素を残したのがD某であったと思う。
どちらも間違っていたとは思わない。
W某の生まれた米国にはTVゲーム以前に「D&D」をはじめとしたTRPGが存在し、
ホビーメディアの1つとしてある程度のプレイ人口と認知を得ていたからだ。
 振り返るに日本ではD某登場までRPGという言葉は一部コアユーザーのみの知るものであった。
つまりは…
判定係に徹したTVゲームであっても、それを「RPGとして楽しめる」ユーザーが居たかどうかの差だ。
まったくの未経験者がW某を前にした時…それは正に私自身の体験なのだが、まずもってその敷居の高さに困惑する。
数値のみのキャラクター、必要最低限のメッセージ。
延々と続く気の抜けない戦闘。
まったくもって初心者にはクリア云々以前に「やる気」を持続させる事自体が困難なのだ。
その点、D某はどうだろう。
キャラクターは「特別な存在(王子or勇者の子孫)」であり、
何をどうすれば良いのか、目的な何なのか。プレイヤーは目にも楽しいドット絵劇で無理なく知ることができる。

極端に例えるなら冬山登山とハイキングの差。
どちらも「山を登る(RPGをクリアする)」という意味では同じでもその中身はまったく別物。
多くの日本人プレイヤーにとって得たいのは「頂上からの眺め、道中の風景」であって、
決してRPG慣れした米国人プレイヤー達のような「そこに至るまでの経過(自分の足で登る楽しさ)」では無いのだ。
それが日本的に悪い方向へと進歩していったとは言えないだろうか?
もはやハイキング、己の足で歩くことすらなくなっている。
ただビジュアルシーンの合間を作業的にボタン操作していくだけ。
ケーブルカーでありロープーウェイ。

頂上からの眺めは同じでも登山を計画し、ルートを自分で選定し、そこに到達するまでには十人十色の出来事がある。
しかし、駐車場からケーブルカーの客席に乗り、頂上まで車窓からの景色を眺める。
十人一色だ。

かつて、D某に関する関係者のコメントで
「アメリカでは売れなかった、
それは苦労は最後で報われるという
戦闘をこなしてレベルアップしていくといった
地道なゲームスタイルが日本的だったからだ」
という趣旨の物があったと記憶している。

いや…
とするならW某がヒットした理由が説明できないではないか。
つまりは…
アメリカ人にとってD某はRPGとは思われなかった。
という事ではないだろうか。
それはTVゲームという枠のとらえ方で日本がすでに一歩先んじていたとも言えるし、
ことRPGというジャンルに対して日本側の原点とも言えるD某が

「RPGとして受け入れられなかった」

という事でもある。
はじめにD某ありき。
そのD某に習ったが故に、
”日本のゲーム”は世界に認められるホビーメディアの1つに成長し、
”日本のRPG”は本来のTRPGを原点に置くプレイヤーの創造する楽しさ
を軽んじてきたのではないだろうか。

「SRPG(シミュレーション・ロールプレイング)」というジャンルをご存知だろうか。

「ファ■アーエ▲ブレム」や「タク▼ィクス・オ■ガ」といったジャンルだ。
SLG好きの私は単純にジャンルの確立を喜んだ物だが、
前述の経緯を考えると人気を呼んだ理由は「演出過多では無いRPG」だったから
とは言えないだろうか?
SLG要素はまずもって没個性(演出)であり、
登場人物は”ユニット(駒)”として数値と単純な顔グラフィックのみの存在である。
そこにユーザーは「自己想像する余地」を見出したのではないだろうか?
「大■略」などの完全な戦闘SLGには見向きもしない女性陣が前述のSRPGに結構ファンが多いのだから。
それはW某に通じる「想像(妄想とも言う)する楽しさ」ではないか。
(ゲームの楽しさが”ユーザーの想像”だと断言するわけではないが、否定はできないはず)

そして今。
そのSRPGすら売れなくなった原因は、やはりここでも、
人気を煽ろうと業界がキャラクター性を増し、
演出過多に走ってしまったから…

見た目の派手さに特化した日本のゲーム業界は今一度、
「ゲームの楽しさとは何か」
という原点を見直すべきだろう。



      
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